Saturday, October 20, 2007

SEEDA - 街風






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////////////"街風"を聴く前の感想/////////////

"3 Days Jump"や"A Sweet Little Dis"を初めて聴いたとき「なるほど」と思わず膝を叩いた。考えてみれば至極単純な発想だし、やろうと思えば誰でも出来たはずなのだけども、日記帳に見たことを綴る描写や、DISを主眼として特定のラッパーを叩くリリックは日本語ラップになぜか存在しなかったからだ。ヒップホップを聴いていれば自ずと出てくるはずの表現を自分も含めて皆がスルーしていたことに驚いた。

そういった「驚き」は普段日本語ラップを聴いている中でもなかなか無いものだけども、最近ちょっと前にネット上で観た"Mic Story"のPVの中に転がっていた。同じクルーや地元の仲間をフックアップする為の曲というのは今までいくらでもあったけども、既に成功して金も地位も手に入れたベテランラッパーが新進気鋭の若手ラッパーにエールを送るという構図の曲はいままで無かったのだ。

"Mic Story"で、SEEDAは「ヒップホップで成り上がる」ことに対する想いや葛藤を誰にともなく吐露し、Bossは「ラッパーの先輩」としてSEEDAの不安を拭い、励ます。その構図はまるでヤンチャで情熱的だけど未熟な弟(=SEEDA)とその弟の成長を温かく見守る懐の深い兄(=Boss)のようであり、そのままBL(≠トラックメイカー)として成立してしまうんじゃないか?と思えるほどの斬新さ。

日本には、ストリートで携帯電話越しにラップをするようなヤツはいないが、ニコニコ動画を介してアニソンのビート上でラップしたり、DISりあうようなヤツはいる。日本語ラップがこの先どのように成長していくかはとんとわからないけど、"Mic Story"のような構図のBL本が出るようになったら「日本語ラップは一般に認められた」と胸を張って言える、と思う。「なぁSEEDA、ストーリーを続けようぜ(性的な意味で)」

////////////"街風"を聴いた後の感想/////////////

MEN'S STREET誌でSEEDAが「日常の喜怒哀楽をラップしたい」というようなことを言っていたので、とても感心した。

この間の古川氏との対談のあと、「"表現"の寿命はどうすれば長くなるか?」ということを考えていた。「フィクショナル」な方向に行くというのは確かに一つの選択肢ではあるけども、他の選択肢はないのか? ということについて。結構見落としがちなところではあるが、「日常を切り取って表現する」という行為自体はブログでみんな普通にやっていたりする。そういう日記/エッセイ的な表現って「限界」はないよなーとフト思った。SEEDAが言う「日常の喜怒哀楽の表現」って要するにこういう「日記」のことを指しているのだろう。実に頭が良い。

でも、ブログで日記を書いている人は良くわかると思うのだけど、「何も無い一日」の日記を面白く相手に読ませることは大変難しい。今日の一日は昨日の一日と一体何が違う? 人間関係や政治や戦争に対する自分の考えを日記で表現するにしても、その「考え」って他の人の考えより面白いのか? 多くの人に他愛も無い日記を読ませる「スキル」を持つ人は、何でも無いように見える一つの出来事をさも面白い出来事に仕上げる「視点」と読者を喰いつかせる「文章力」を持っている。それが無いと毎日同じようなこと(飯の献立とか)が延々と書かれているつまらない日記になってしまう。

結局「日記的」な表現というのは、漠然としたテーマを独特の視点で分解するスキルが必要なんだと思う。何年も何曲も同じようなことしかラップしていない人はそのテーマの分解ができていないだけだろうし、逆にありがちなテーマでもハッとさせられるようなリリックを書く人はそれが出来ているんだろう。

"街風"において、刺激的な自分の経験を切り売りする「私小説的」表現から他愛も無い日常を切り取る「日記的」表現に移行していっているところがポイントなのはもはや言うまでもない。ここで重要なのは、リスナーが注目し始めた不良ラップの「リアル」な表現から数百メートルも離れたこのリリックがどのように耳に響くか、というところだ。彼の「スキル」がリスナーの興味をどこまで惹きつけることができるか? 「道を散歩する」ようなリリックがハスリングライフの描写を超えてリスナーを掴むことができるか?

Zeebraの"World of Music"は、前作の"The New Beginning"を更に「改善」し、現在の不良ラップの流れとの一瞬の邂逅を見せる。それゆえ「シーンの内側」へも目配せした「今風のムード」を持つ好盤だけども、そのムードを持っているが故に相変わらず古臭いリリックの「使いまわし感」も鼻につく。同日発売のSEEDAの"街風"とZeebraの"World of Music"を聴いてどちらに軍配を挙げるか、リスナー自身の「興味のスタンス」も個々に明確に別れて顕れるところだろう。「不良ラップから抜け出そうとするラッパー」と「不良ラップのムードだけを纏うラッパー」、リスナーが果たしてどちらに流れるか、興味深いことこの上ない。

(まったくの余談だけど、SEEDAが"街風"で「ポジティブさ」を求める姿勢は、Bossが「闇」を求めていた姿勢と丁度真逆なところが非常に面白いと思った。こうやって対比すると、2人とも自分に「無いもの」をヒップホップへ求めているように見えるのだ)

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